[仮面ライダー]がスキ!
[仮面ライダー]がスキ!
00004 KIICHI MORIYA

[仮面ライダー]
がスキ!

profile

守屋輝一

法政大学 デザイン工学部3年 東京都出身。
幼少期から仮面ライダーに没頭し、ヒーロー論について考えるのが趣味。仮面ライダーと哲学、サイエンスをキャリアデザインに活かしていきたいと考えている。(以上は取材当時)

 今回のテーマは、仮面ライダー。1971年に放送が始まった、石ノ森章太郎原作・東映制作による国民的特撮テレビドラマシリーズだ。しかし、これまでに30シリーズも展開されてきたことや、総勢100名以上のライダーが存在することは、意外と知られていない。そしてウルトラマンやスーパー戦隊(「××戦隊○○ジャー」の類のアレである)と異なり、シリーズごとにフォーマットやストーリー展開に大きな差があることは、さらに知られていない。今回の主人公である守屋輝一さん曰く、そんな変化に富む仮面ライダーを構造的に考察すると、日本社会の変化や日本人の価値観の変化が見えてくるという。

chapter 1

「犯罪者仮面ライダー」は私たちに問う

「犯罪者仮面ライダー」は私たちに問う

— 守屋さんは、仮面ライダーの作風と時代背景は密接にリンクしていると考えているとのことですが、何か象徴的な例を挙げてもらえますか。

そうですね。例えば2002年から2003年にかけて放送された『仮面ライダー龍騎』は、仮面ライダー史上初めてライダー同士の戦いが描かれた作品です。キャッチコピーは、「戦わなければ生き残れない!」で、その言葉通り、ライダー同士で殺し合いのサバイバルゲームを行って、最後に残ったたった一人だけが願いを叶えられるというストーリーになっています。その中には、犯罪者や悪徳警察官が変身するライダーもいます。

— 人数多いし仮面ライダーが犯罪者って、すごい設定ですね。

当然、視聴者から苦情もあったようですけど、脚本家の小林靖子さんや白倉伸一郎プロデューサーへのインタビュー記事などを見ると、むしろそこには明確な思想があってそうしたことが明らかにされています。
その鍵になるのは、龍騎が放送される前の2001年に起きた、アメリカ同時多発テロです。当時、事件後瞬く間に、『正義』や『悪』という言葉が世界中に溢れかえりましたよね。アメリカは「アメリカ=絶対的正義、テロリストとテロ国家=絶対的悪」という図式を強く主張していましたが、龍騎はそんな時代だったからこそ、「それぞれの正義」を持った者同士がぶつかり合うという設定によって、一体何が正義で、何が悪なのかということを問い直そうとしたのです。

— なるほど。もはやジャーナリズムですね。

あとは、2003年から2004年に放送された『仮面ライダー555(ファイズ)』は、仮面ライダーシリーズの中で初めて音声付きの『ケータイ電話』をベルトに装着して変身し、様々なコマンドを入力することで攻撃を行うという斬新な設定でした。ケータイの普及と多機能化を受け、今後子供たちも当たり前に使い始めるだろうという時代観がうかがえます。

— なんだか急にビジネス臭がしますね。先ほどの社会派なコンセプトを聞いた後だと余計に。

まあそういう「グッズ売ろうぜ」的な側面は実際あります。ですが、「Google Glass」の試作品が公開されたのが2011年で、2012年〜2013年放送の『仮面ライダーウィザード』がウェアラブルデバイスを使っていたことも併せて考えると、これからの時代や社会を先取りするというスピリットは明確にあると思います。

犯罪者仮面ライダー」は私たちに問う

chapter 2

ニッポンのものづくり的発想と仮面ライダー

ニッポンのものづくり的発想と仮面ライダー

— ある特定のシリーズと、当時の時代とのリンクについて解説していただいたので、次に、時間軸で各シリーズを比較した場合に、共通点や、逆に変化してきたことはありますか?

共通点で言うと、「とりあえずやってみる」ことの大切さは共通して表現される傾向にあります。新技習得後、いきなり実践の機会に遭遇したライダーのうち、とりあえずやってみたライダーは90%を大きく越えます。やってみたライダーの成功率も90%以上で、失敗しても、「よーしもう一回!」「これじゃダメかぁ…ただのキックじゃ、改良しないと」「次こそは外さん」といった発言とともに、2回目はほぼ100%の確率で成功しています。反省を活かして短期間で改良の後、クオリティを大幅アップさせたというわけです。

— ニッポンのものづくりみたいですね。

仮面ライダーにはほとんどの場合、新技開発の協力者がいますが、彼らとの机上の打ち合わせに時間を費やすことよりも、たとえ失敗のリスクがあってもまず行動に移し、トライ&エラーで質を高めた方が良いとう判断をし、実際に成功しています。

— シリコンバレー発で注目されるようになった、リーンスタートアップの手法を地で行っていると。

子供向け番組なので「こうあるべし」という教育的意図はあると思いますが、そもそも、「失敗を恐れて行動しないよりも、まずやってみることが大切で、失敗したらスピーディーに改善すればいいというマインドを持つべきだし、そういうマインドを持ちたい」という価値観が、日本社会である程度共有されているからこそ、時を越えて「やっぱこういうこと大事だよな」ということが繰り返し、繰り返し、表現されているのだと思います。

ニッポンのものづくり的発想と仮面ライダー

— 結末見え見えも甚だしい『水戸黄門』が、長らくシニアにウケているのは、現実の世界では気に入らない嫁や面倒見の悪い我が子などにストレスが溜まっていく中、「悪がちゃんと成敗されるような世の中であって欲しい」という満たされないシニアの欲求を『水戸黄門』というバーチャル世界が肩代わりしてくれるからだと聞いたことがあります。そういう「社会の気分」みたいなものが、仮面ライダーにも映し込まれているのかもしれませんね。

ちょっとよく分からないですけど、そうかもしれません。

chapter 3

職業観の移り変わりがもたらしたもの

職業観の移り変わりがもたらしたもの

違いというところで言うと、昭和ライダーと平成ライダーで、人生観に大きな変化が見て取れます。その説明の前に、まずは登場人物の出自や関係を話したいと思います。
ショッカーたちというのは悪の組織の構成員で、彼らは一般人の中の優れた人間たちを誘拐、改造することで、怪人にします。そして彼らに悪事を働かせています。一方主人公の本郷猛は、やはりショッカーに才能を買われて無理矢理連れてこられますが、脳が改造される前に逃げ出し、彼らから自分と人類を守るため、仮面ライダーとなって戦うのです。つまり怪人もライダーも、不可抗力というのが起点になります。

— あ、怪人と仮面ライダーって、元職場の同僚だったんですね。あと、ショッカーって怪人の部下というより人事部の人だったんですね。

一方平成ライダー、特に近年では、一般人が自ら志願し、仮面ライダーになったり、悪の組織にジョインすることができます。また、一度自分が選んだ組織のボスに申し出て、転籍するケースもあります。例えば近年の仮面ライダーでは、元々悪の組織で働いていた怪人が、その後に裏切って仮面ライダー側に転身を遂げた例もあります。
つまり、昭和では偶然性も含めた外部要因によって人生をほとんど選択できなかったのに対し、近年では主体的に考え、自らの選択によって自らの人生を掴んでいく姿が描かれています。そういう生き方が、これからの時代に必要な生き方だというメッセージを感じます。

職業観の移り変わりがもたらしたもの

— これからの時代を生き抜く力という、大きな教育的テーマを感じますし、大人が観ても楽しめそうですね。

あとは、コミュニケーションに対する考え方も大きく変わりました。昭和ライダーは戦闘中、ひたすら有無を言わさず攻撃を行います。それは敵も同じで、戦闘前に軽く挨拶を交わす以外は、お互いの意見を交わすことはありません。先ほど触れたように、怪人やライダーという立場を主体的に選んだわけではないがために、行動に論理的な裏付けが無い場合が多いからだと思います。
ところが平成になると、戦闘中に会話する機会が多くなりました。怪人にも、仮面ライダーにも、それぞれに行動に対する理由があり、正義があるからです。そのため、戦闘中にお互いの意見が交換され、和解したり相手を傷つけずに問題解決に至るケースが増えました。それぞれの立場を尊重し、コミュニケーションを図ることの重要性が描かれているというわけです。

chapter 4

葛藤するヒーローの正体は

葛藤するヒーローの正体は

— ちなみに、スーパー戦隊とか、アメコミヒーローとか、他のヒーローと仮面ライダーはどう違うんでしょうか。

まず、スーパー戦隊はひたすらチームの素晴らしさを訴求しています。一方仮面ライダーは、基本的に個人行動です。ですがその分、一人の人間として生きる上での葛藤が詳しく描かれているのが特徴と言えます。
仮面ライダーって、主人公の中すら、「正義」が1年を通して変化していくんですよ。僕の大好きな『仮面ライダークウガ』では、主人公は初め、子供たちの笑顔のために戦うという「正義」を掲げて戦いますが、平和を守るという大義名分のもとで、敵をボコボコにして排除することの醜さに途中で気づいてしまいます。相手の悪事の意図を仲間と考えたりもしつつ、それでも相手を制しなければならないことに葛藤は深まっていきます。最終話の一つ前、第48話では、主人公は泣きながら怪人を殴ります。自分の正義を相手にぶつけることは苦しいことだということが、生々しく描かれているわけです。

— 最終話はどうなっちゃうんですか。

最終話は、怪人もライダーも一切出てきません。主人公は普通の人に戻り、旅人としての人生を続けます。つまり、葛藤に苦しんだ仮面ライダーは、元来、視聴者と同じ普通の人であり、「その葛藤は、ライダーに限ったことではなく、あなた自身も向き合わなければならない葛藤だ」ということを暗示しているのです。その現実を直視しながら、人はそれでも生きていかねばならないと。

— 総立ちして拍手喝采したい気分です。

普通の人と仮面ライダーが地続きなのは、海外のヒーローと比較でも言えることです。ちょっと逆説的なんですけど、仮面ライダーはいつの時代も、人が内側から「変身」し、ヒーロになります一方、海外のヒーローはあくまで「変装」であって、最初から強かったり特殊能力を持った人にしかヒーローが勤まりません。
ライダーは「変身」なので、一般人からライダーになるにはある種のジャンプが必要ですが、誰でも努力次第でライダーになれるという意味で、オープンです。

— 未経験者歓迎と。でもだからこそ、仮面ライダーの苦悩や歓びは、誰しも経験しうることだし、向き合うべきことだということですね。

そうです。仮面ライダーって、世代を越えたヒューマンドラマだと思いませんか。なので、「大人になった時に深さを味わえる」という声をちょくちょく聞いたりもします。それだけ、仮面ライダーは、変わるものも、変わらないものも含めて、日本人の価値観に寄り添ったり問いをぶつけたりしがら、社会を映しているからではないでしょうか。

葛藤するヒーローの正体は

「異なる領域の知を繋ぎ合わせると、新しいアイデアや発想が出てくるんです」−。
インタビューの後、守屋さんが語っていた言葉は印象的だった。
実際、仮面ライダーというエンターテイメントコンテンツを社会学的視点で見る守屋さんへのインタビューを通して、組織マネジメントや人材開発のヒントも浮かび上がってきた。
それと同時に、「物事を深く知る」ということも、クリエイティビティを支える重要な要素の一つであることも感じられた。
守屋さんが仮面ライダーと外の領域をコネクトできたのも、仮面ライダーに対する解像度の高い知見を持っていたからだろう。
深く知ることで、俯瞰可能になり、そして知の横断につながる。
そんな構造が象徴的に立ち現れたインタビューだった。